満州路を行く 8 ~阿城~
ハルビンから車で南東に40分、阿城という町がある。今は地平線まで続く広大な大地が広がっているが、かつてここを都とした王朝があった。阿城の昔の都市名は会寧。そう、阿城は女真族の王朝、金の首都だった町なのである。そんな阿城の町を散策した。
金は1115年に完顔阿骨打によって建国された。猛安・謀克制という独特な軍事体制によって勢力を拡大。1120年には北宋と澶淵の盟(せんえんのめい)を結び、燕雲十六州を割譲する代わりに遼を挟撃し、満州と内モンゴル一体を完全に支配下においた。さらに1126年には北宋の背信行為に端を発した靖康の変で北宋を滅ぼし、中国の北半分を征服するまでの王朝になったのである。阿城はそんな金王朝の首都だったの町。しかし、かつての繁栄ぶりは見る影もなく今は一面の雪原が広がっていた。そんな「古都」を散策した。
私がまず訪れたのは金上京博物館。ここには金王朝に関する様々な資料が展示されていた。当時の兵器、史料、出土品、集落の模型などが展示されていて、金王朝のことをたっぷり学ばせてもらった。入り口には完顔阿骨打の像が建っている。そこで記念撮影をしてから博物館を跡にした。さらにその先には、完顔阿骨打の陵墓もある。女真族とあって瀋陽のヌルハチやホンタイジと同様の造りの陵墓だった。果てしなく続く雪原。その中に佇んでいると騎馬民族が疾駆する様がリアルに想像できる。寒さで体は震えていたが、心だけは熱く燃えていた。そんな阿城の散策だった。
壮大な満州の旅もそろそろ終わりが近づいてきた。私は阿城から再びタクシーに乗り、ハルビンに戻り、ハルビンから寝台列車に乗って大連まで帰ることにした。古来からの騎馬民族、満州族、そして我々の先人たちの夢の大地・満州。そんな満州を満喫した旅だった。
そして、2009年元旦。私は寒風吹きすさぶ大連の港に一人佇んでいた。初日の出を見ようとしたためである。中国では旧正月が元旦のため、この日はただの普通の日にすぎない。そのため港に佇んでいるのは私一人であった。七時過ぎ、徐々に東の空が明るくなり、すでに日本で何万人もの人が拝んだであろう太陽が顔を出した。天気は快晴。日の光がまぶしいほどである。今年はいったいどんな一年になるのだろうか?私はまぶしいばかりの初日の出に一年の祈願をし、日出づる国への帰路へ着いた。
完
金は1115年に完顔阿骨打によって建国された。猛安・謀克制という独特な軍事体制によって勢力を拡大。1120年には北宋と澶淵の盟(せんえんのめい)を結び、燕雲十六州を割譲する代わりに遼を挟撃し、満州と内モンゴル一体を完全に支配下においた。さらに1126年には北宋の背信行為に端を発した靖康の変で北宋を滅ぼし、中国の北半分を征服するまでの王朝になったのである。阿城はそんな金王朝の首都だったの町。しかし、かつての繁栄ぶりは見る影もなく今は一面の雪原が広がっていた。そんな「古都」を散策した。
私がまず訪れたのは金上京博物館。ここには金王朝に関する様々な資料が展示されていた。当時の兵器、史料、出土品、集落の模型などが展示されていて、金王朝のことをたっぷり学ばせてもらった。入り口には完顔阿骨打の像が建っている。そこで記念撮影をしてから博物館を跡にした。さらにその先には、完顔阿骨打の陵墓もある。女真族とあって瀋陽のヌルハチやホンタイジと同様の造りの陵墓だった。果てしなく続く雪原。その中に佇んでいると騎馬民族が疾駆する様がリアルに想像できる。寒さで体は震えていたが、心だけは熱く燃えていた。そんな阿城の散策だった。
壮大な満州の旅もそろそろ終わりが近づいてきた。私は阿城から再びタクシーに乗り、ハルビンに戻り、ハルビンから寝台列車に乗って大連まで帰ることにした。古来からの騎馬民族、満州族、そして我々の先人たちの夢の大地・満州。そんな満州を満喫した旅だった。
そして、2009年元旦。私は寒風吹きすさぶ大連の港に一人佇んでいた。初日の出を見ようとしたためである。中国では旧正月が元旦のため、この日はただの普通の日にすぎない。そのため港に佇んでいるのは私一人であった。七時過ぎ、徐々に東の空が明るくなり、すでに日本で何万人もの人が拝んだであろう太陽が顔を出した。天気は快晴。日の光がまぶしいほどである。今年はいったいどんな一年になるのだろうか?私はまぶしいばかりの初日の出に一年の祈願をし、日出づる国への帰路へ着いた。
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写真はこちらから→http://blog.livedoor.jp/genki_eguchi/


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