満州路を行く 6 ~長春~
早朝に瀋陽を出発し、鉄道に4時間揺られ、10時過ぎに小雪舞う長春の駅に着いた。気温は瀋陽よりさらに下がり-16℃。もはや全身の感覚がおかしくなっている。首から下げていたデジタルカメラもあまりの寒さに動かなくなってしまうほどであった(駅前のショッピングセンターで中国製のカメラを買った。さすがに寒い土地だけあってこちらのカメラは最後まで大丈夫だった)。
吉林省の省都長春。かつて満州国の首都も経験したこの都市の歴史は日本抜きでは語ることは出来ない。この町がすべて日本人の手によって設計されているからである。設計を担当したのは満鉄の初代総裁後藤新平とその設計担当の加藤与之吉であった。街づくりは道路から始まった。まず駅前から南に下る大通りをメインストリートとし、そこから左右に斜線の幹線を設けて円形広場とつないだのである。道幅は36メートルとし、長春大街(現在の人民大街)と名付けられた。道の両側にはアールヌーボー様式の建物がずらりと並び、栄えに栄えていたらしい。町の南には当時の官庁街、順天大街(現在の新民大街)も建設された。ここには当時の行政官舎がずらりと並んでいた。
日本が来るまで長春はただの一地方都市に過ぎなかった。では、そんな長春がなぜ満州国の首都に選ばれたのだろうか。それには理由がある。当初、候補に挙げられていたのは瀋陽とハルビンであった。この満州の二大都市は人口でも、歴史から見ても、産業からしても首都にふさわしい都市であった。しかし、瀋陽は張学良が抗日活動をしていた土地で治安面で問題があった。一方のハルビンもロシアの影響力が強い都市でこちらも問題があった。そこで白羽の矢が立ったのが長春なのである。長春は二大都市の中間に位置し、満鉄も通っていることから交通の便が良い。それが故に首都「新京」に選ばれたのである。
満州国建国以来、満州の人口は増えに増え、新京(長春)は栄えた。それとともに上下水道や緑地帯なども整備され、世界の先進都市になっていったのである。まさに長春の町の発展は日本とともにあった。
私は早速、長春の町を歩き回ることにした。道路と円形広場の計画性はすぐに感じることができた。しかし、なぜか感動に浸ることができない。それもそのはず通りを一本入れば、貧民街が広がっていたからである。-16℃という中でも薄着で暖房器具もないような家に暮らしている人が大勢いたのである。ゾッとする光景だった。表通りの華やかさと裏通りの貧しさ。中国の格差社会を感じてしまった散策であった。
長春の町の観光は何といっても、満州国皇帝に即位した溥儀が暮らしていた皇宮の跡である。現在では「偽満州国皇宮博物院」という「偽」の字がつけられている博物館になっている。寝室、客室、書斎、仏堂、アヘン吸引室等々、在位期間の生活ぶりがよくわかる施設だった。映画『ラストエンペラー』の撮影でも使われていて、まさに映画そのものの造りだった。
博物院の隣には、ここにも江沢民が建てた反日資料館がある。とりあえず入館してみたものの、せっかくの旅行の楽しさを奪い取ってしまうには十分すぎる内容であった。瀋陽の資料館の比ではない。蝋人形やジオラマ、惨たらしい写真などが並び、如何に日本が残虐行為をしたかを宣伝しているだけの資料館だった。写真の出所も定かではないし、中国共産党政権の正当性を証明したいだけというのは冷静に考えれば明らかである。その側を修学旅行らしき小中学生の一団が通り過ぎていく。中国の反日教育が如何に凄まじいかがよくわかった資料館だった。日中友好は難しい。つくづく感じる。福田前総理ではないが、相手の嫌がる行為をしないでほしいものである(苦笑)。
そんな長春を日が暮れる前に跡にし、ハルビンへ向かった。満州の旅はまだまだ続く。
つづく
吉林省の省都長春。かつて満州国の首都も経験したこの都市の歴史は日本抜きでは語ることは出来ない。この町がすべて日本人の手によって設計されているからである。設計を担当したのは満鉄の初代総裁後藤新平とその設計担当の加藤与之吉であった。街づくりは道路から始まった。まず駅前から南に下る大通りをメインストリートとし、そこから左右に斜線の幹線を設けて円形広場とつないだのである。道幅は36メートルとし、長春大街(現在の人民大街)と名付けられた。道の両側にはアールヌーボー様式の建物がずらりと並び、栄えに栄えていたらしい。町の南には当時の官庁街、順天大街(現在の新民大街)も建設された。ここには当時の行政官舎がずらりと並んでいた。
日本が来るまで長春はただの一地方都市に過ぎなかった。では、そんな長春がなぜ満州国の首都に選ばれたのだろうか。それには理由がある。当初、候補に挙げられていたのは瀋陽とハルビンであった。この満州の二大都市は人口でも、歴史から見ても、産業からしても首都にふさわしい都市であった。しかし、瀋陽は張学良が抗日活動をしていた土地で治安面で問題があった。一方のハルビンもロシアの影響力が強い都市でこちらも問題があった。そこで白羽の矢が立ったのが長春なのである。長春は二大都市の中間に位置し、満鉄も通っていることから交通の便が良い。それが故に首都「新京」に選ばれたのである。
満州国建国以来、満州の人口は増えに増え、新京(長春)は栄えた。それとともに上下水道や緑地帯なども整備され、世界の先進都市になっていったのである。まさに長春の町の発展は日本とともにあった。
私は早速、長春の町を歩き回ることにした。道路と円形広場の計画性はすぐに感じることができた。しかし、なぜか感動に浸ることができない。それもそのはず通りを一本入れば、貧民街が広がっていたからである。-16℃という中でも薄着で暖房器具もないような家に暮らしている人が大勢いたのである。ゾッとする光景だった。表通りの華やかさと裏通りの貧しさ。中国の格差社会を感じてしまった散策であった。
長春の町の観光は何といっても、満州国皇帝に即位した溥儀が暮らしていた皇宮の跡である。現在では「偽満州国皇宮博物院」という「偽」の字がつけられている博物館になっている。寝室、客室、書斎、仏堂、アヘン吸引室等々、在位期間の生活ぶりがよくわかる施設だった。映画『ラストエンペラー』の撮影でも使われていて、まさに映画そのものの造りだった。
博物院の隣には、ここにも江沢民が建てた反日資料館がある。とりあえず入館してみたものの、せっかくの旅行の楽しさを奪い取ってしまうには十分すぎる内容であった。瀋陽の資料館の比ではない。蝋人形やジオラマ、惨たらしい写真などが並び、如何に日本が残虐行為をしたかを宣伝しているだけの資料館だった。写真の出所も定かではないし、中国共産党政権の正当性を証明したいだけというのは冷静に考えれば明らかである。その側を修学旅行らしき小中学生の一団が通り過ぎていく。中国の反日教育が如何に凄まじいかがよくわかった資料館だった。日中友好は難しい。つくづく感じる。福田前総理ではないが、相手の嫌がる行為をしないでほしいものである(苦笑)。
そんな長春を日が暮れる前に跡にし、ハルビンへ向かった。満州の旅はまだまだ続く。
つづく
写真はこちらから→http://blog.livedoor.jp/genki_eguchi/


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