浜松にて 前編 ~ビルマゆかりの碑~
先日浜松に出張があり、せっかくなので週末を浜松で過ごした。目的はビルマの記念碑を見るためである。この記念碑は私が以前参加した講演会の際に、著書『拒否できない日本』で有名な関岡英之さんがおっしゃっていた記念碑である。浜松は、ビルマ建国の父として仰がれるアウンサン将軍(スーチーさんのお父さん)と日本陸軍の鈴木敬司少将がビルマ独立の作戦を練った場所である。その記念碑が大草山にあると言う。そこで大草山に登って、その記念碑を一目見ようと思い立ったのである。
私は浜松駅からバスで大草山に向かった。ちょうど館山寺温泉という温泉街になっていて、遊園地や浜名湖の遊覧船の乗り場のある大変なにぎわいの一帯だった。麓からはロープウェイで山頂まで行ける。しかし、この日はあいにく強風のためロープウェイが運行休止になっていた。麓で聞いてみると、オルゴール館にも立ち寄るなら無料で山頂まで車で送迎するとのこと。そこで、その言葉に甘え、オルゴール館にも立ち寄ることにした。
麓から車で15分程で山頂に着いた。まずはオルゴール館を見て回った。ここには19世紀から20世紀中葉までの世界中のオルゴールが展示されていて、その歴史や音色を楽しませてもらった。さらにその屋上の展望台からは浜名湖も一望できる。遠くに広がる遠州灘、西側には湖西連峰が連なっている。風は強かったが、天気は快晴。心地よい春の日である。大変爽快な気分だった。
そのオルゴール館のすぐ側にビルマの記念碑はあった。碑の文章はビルマ方面で亡くなられた方々の慰霊と日緬友好を誓うという内容だった。参考までに下記に載せておきたい。
「ロスト・コーズ」という言葉がある。日本語では「敗れた大義」と訳す。元々は白人と戦って滅んでいったアメリカのインディアンの酋長の主張のことを指す言葉なのだが、ここで述べるのはそれに限ったことではない。歴史は常に勝者によって語られる。それを受けた後世の人々は、そこに正義があるような錯覚を感じてしまいがちだ。しかし、私は「ロスト・コーズ」を忘れるべきではないと思っている。敗者にも敗者の大義がある。楠木正成も真田幸村も西郷隆盛も諸葛孔明も鄭成功もチベット民族も「ロスト・コーズ」に殉じていった。そこにあった大義は抹殺されてもいいのだろうか?
当時の日本の大義は間違いなくアジアの解放だった。アジアの諸国は当時、ヨーロッパ諸国やアメリカの植民地となり搾取の対象であった。有色人種で日本だけが欧米に立ち上がれるだけの力を持っていた。そして我々の先人たちは立ち上がったのである。もちろん、その過程で横柄な態度を取った人もいるだろう。しかし、鈴木敬司少将のような方がいたというのは我が国の誇らしい歴史である。私は「ロスト・コーズ」を語り続けていきたい。そう浜松で感じた。
つづく
<参考>ビルマゆかりの碑
この碑はビルマ国民に建国の父と仰がれるオンサン将軍が去る昭和15年わが国に亡命して、当地出身の鈴木敬司陸軍少将と共に祖国独立運動の秘策を練ったこのゆかりの地に立てられたものであります。太平洋戦争間彼の苛酷なビルマ戦場で、幾多春秋に富む若い身を祖国に捧げ散華された諸英霊は、当静岡県出身者のみでも2700余柱に及んでおります。今日のわが国の隆成が一途に祖国の安泰と平和をこい願いつつ散華された尊い英霊の犠牲とそのご加護の賜であることは、片時も忘れることができません。ここに同志相図り静岡県及び浜松市ならびに関係市町村当局のご協賛を得て、ビルマゆかりの碑を建設し、ビルマ方面で戦没された諸英霊をお慰めすると共に、オンサン将軍の史実を長くここに留め、ビルマとの友好を期する次第であります。なお碑面のビルマ語は、駐日ビルマ連邦大使ウチコーコー閣下の撰になり、「ジャパンバマーチチエーテミエバセー」と発音し、「日緬永遠の友好を!」の意味であります。
昭和49年5月12日
ビルマゆかりの碑建設委員会
会長 飯田禅二郎
私は浜松駅からバスで大草山に向かった。ちょうど館山寺温泉という温泉街になっていて、遊園地や浜名湖の遊覧船の乗り場のある大変なにぎわいの一帯だった。麓からはロープウェイで山頂まで行ける。しかし、この日はあいにく強風のためロープウェイが運行休止になっていた。麓で聞いてみると、オルゴール館にも立ち寄るなら無料で山頂まで車で送迎するとのこと。そこで、その言葉に甘え、オルゴール館にも立ち寄ることにした。
麓から車で15分程で山頂に着いた。まずはオルゴール館を見て回った。ここには19世紀から20世紀中葉までの世界中のオルゴールが展示されていて、その歴史や音色を楽しませてもらった。さらにその屋上の展望台からは浜名湖も一望できる。遠くに広がる遠州灘、西側には湖西連峰が連なっている。風は強かったが、天気は快晴。心地よい春の日である。大変爽快な気分だった。
そのオルゴール館のすぐ側にビルマの記念碑はあった。碑の文章はビルマ方面で亡くなられた方々の慰霊と日緬友好を誓うという内容だった。参考までに下記に載せておきたい。
「ロスト・コーズ」という言葉がある。日本語では「敗れた大義」と訳す。元々は白人と戦って滅んでいったアメリカのインディアンの酋長の主張のことを指す言葉なのだが、ここで述べるのはそれに限ったことではない。歴史は常に勝者によって語られる。それを受けた後世の人々は、そこに正義があるような錯覚を感じてしまいがちだ。しかし、私は「ロスト・コーズ」を忘れるべきではないと思っている。敗者にも敗者の大義がある。楠木正成も真田幸村も西郷隆盛も諸葛孔明も鄭成功もチベット民族も「ロスト・コーズ」に殉じていった。そこにあった大義は抹殺されてもいいのだろうか?
当時の日本の大義は間違いなくアジアの解放だった。アジアの諸国は当時、ヨーロッパ諸国やアメリカの植民地となり搾取の対象であった。有色人種で日本だけが欧米に立ち上がれるだけの力を持っていた。そして我々の先人たちは立ち上がったのである。もちろん、その過程で横柄な態度を取った人もいるだろう。しかし、鈴木敬司少将のような方がいたというのは我が国の誇らしい歴史である。私は「ロスト・コーズ」を語り続けていきたい。そう浜松で感じた。
つづく
<参考>ビルマゆかりの碑
この碑はビルマ国民に建国の父と仰がれるオンサン将軍が去る昭和15年わが国に亡命して、当地出身の鈴木敬司陸軍少将と共に祖国独立運動の秘策を練ったこのゆかりの地に立てられたものであります。太平洋戦争間彼の苛酷なビルマ戦場で、幾多春秋に富む若い身を祖国に捧げ散華された諸英霊は、当静岡県出身者のみでも2700余柱に及んでおります。今日のわが国の隆成が一途に祖国の安泰と平和をこい願いつつ散華された尊い英霊の犠牲とそのご加護の賜であることは、片時も忘れることができません。ここに同志相図り静岡県及び浜松市ならびに関係市町村当局のご協賛を得て、ビルマゆかりの碑を建設し、ビルマ方面で戦没された諸英霊をお慰めすると共に、オンサン将軍の史実を長くここに留め、ビルマとの友好を期する次第であります。なお碑面のビルマ語は、駐日ビルマ連邦大使ウチコーコー閣下の撰になり、「ジャパンバマーチチエーテミエバセー」と発音し、「日緬永遠の友好を!」の意味であります。
昭和49年5月12日
ビルマゆかりの碑建設委員会
会長 飯田禅二郎
写真はこちらから→http://blog.livedoor.jp/genki_eguchi/


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