旅人たちの宿
テルアビブから再びエルサレムへ戻った。先進国際都市を見たあとの歴史都市というのもまた趣深い。エルサレムを1日かけて再びのんびり満喫させてもらった。そんなエルサレムで偶然立ち寄った宿でとても面白いことが待ち受けていた。今日はそのことを書いていきたい。
エルサレムのダマスカス門の近くに「ファイサル」という宿がある。ひょんなことでこの宿に立ち寄ったのだが(なんと聖墳墓教会でパルミラをご一緒させてもらったカップルさんと偶然再開。カップルさんに導かれるようにして舞い込んでしまった…)、この宿が一風変わった宿なのであった。なんとこの宿に泊まっている人は全員日本人。それも20人弱もの人が泊まっていたのである。20代30代の人ばかりで、まるで寮のようであった。
早速、自己紹介。すると不思議なことが起こった。「どのくらい旅行しているのか?」という問いに私が「11日間」と答えると、皆一様に驚いていたのである。それもそうだろう。社会人で有休をとるのは難しい。敬老の日と秋分の日と土日をつなげて何とか作った夏休みである。私はそういう意味で驚いているのかと思った。しかし、驚きの理由は逆だった。私の旅行の期間が余りにも短いという意味で皆さん驚かれているのだった。この宿にいる人たちは皆、長期の旅行者。旅行の期間が1年や2年というのは当たり前。中には5年も旅行をしている人もいたのである。このエルサレムだけでも1ヶ月くらい滞在しているという人ばかりであった。学生さん、脱サラした人、フリーのライター、自営業…立場は人それぞれ違えど、安宿に置いてある「情報ノート」や噂を聞き付けてこの宿に集まった旅慣れしている人ばかりであった。
私は本当にビックリしてしまった。私の想像をはるかに超えていたからだ。確かに日本で貯めた150万円程度のお金を軍資金にし、安宿のドミトリーに泊まり、自炊をすれば、途上国では一日500円ほどで生活ができる。5年間旅行するくらい容易なことなのだ。私は今まで海外旅行には行っている方だと思っていた。しかし、上には上がいるものである。こんなことをしている人が大勢いたとは全く知らなかった。そんな彼らからすれば、私の慌ただしい旅行など奇異に見えたのだろう。まるで今までと違った生き方を提示されているようであり、私も新鮮であった。
そんな彼らの中には、パレスチナ人の分離壁反対運動に参加してきたというすごい人もいた。パレスチナ自治区にビリン村という村がある。ここで現在、パレスチナ人たちが闘争をしているのである。イスラエル政府はビリン村をユダヤ人の土地だという見解を示し、パレスチナ人たちを追い出しにかかっている。ビリン村に壁を築き、パレスチナ人たちの生活源であるオリーブの木を切り倒しているのだ。人道的な見地から国連は非難決議を採択。しかし、イスラエルはこのことを一向に辞めようとはせず、紛争に発展している。宿にいた人はこのパレスチナ人たちのデモに参加してきたというのである。イスラエル兵たちが容赦なく投げる催涙弾にも負けずにデモをしてきたという武勇伝を聞かせてもらった。
中東は「文明の十字路」という。しかし、十字路であるのは文明だけではない。アフリカ大陸を縦断してきた人、インドから深夜特急ルートを来た人、アラビア半島から来た人、ヨーロッパ方面へ行く人…「ファイサル」に泊まっていた人たちは様々な地域からこの地に集まり、様々な地へと出発していく。中東は文明だけではなく、旅行者にとっても十字路だったのである。そんなことを感じたエルサレムの宿であった。
翌日、私はエルサレムを出発し、アンマンで一泊したあと、日本への帰路についた。ヨルダン、シリア、パレスチナ、イスラエル。4つの国と地域の旅行もこれで終わり。笑いあり、涙ありの本当に内容の濃い旅行であった。「文明の十字路」中東。三大陸の狭間に位置していることから稀に見る激動の歴史をくぐり抜けてきた土地、中東。そこは感動と新たな発見の宝庫であった。もう少しここに居たい。そんな気持ちにさせられた旅であった。そんな今回の旅行の締めくくりにふさわしい光景が帰りの飛行機の中で待っていた。砂漠の中に沈む夕日…。寂しい想いを振り払うように私は中東を跡にした。
完
P.S 9月の日記がこんな時期まで先延ばしになってしまい申し訳ありませんでした。最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。感謝の意を伝えて締めたいと思います。
エルサレムのダマスカス門の近くに「ファイサル」という宿がある。ひょんなことでこの宿に立ち寄ったのだが(なんと聖墳墓教会でパルミラをご一緒させてもらったカップルさんと偶然再開。カップルさんに導かれるようにして舞い込んでしまった…)、この宿が一風変わった宿なのであった。なんとこの宿に泊まっている人は全員日本人。それも20人弱もの人が泊まっていたのである。20代30代の人ばかりで、まるで寮のようであった。
早速、自己紹介。すると不思議なことが起こった。「どのくらい旅行しているのか?」という問いに私が「11日間」と答えると、皆一様に驚いていたのである。それもそうだろう。社会人で有休をとるのは難しい。敬老の日と秋分の日と土日をつなげて何とか作った夏休みである。私はそういう意味で驚いているのかと思った。しかし、驚きの理由は逆だった。私の旅行の期間が余りにも短いという意味で皆さん驚かれているのだった。この宿にいる人たちは皆、長期の旅行者。旅行の期間が1年や2年というのは当たり前。中には5年も旅行をしている人もいたのである。このエルサレムだけでも1ヶ月くらい滞在しているという人ばかりであった。学生さん、脱サラした人、フリーのライター、自営業…立場は人それぞれ違えど、安宿に置いてある「情報ノート」や噂を聞き付けてこの宿に集まった旅慣れしている人ばかりであった。
私は本当にビックリしてしまった。私の想像をはるかに超えていたからだ。確かに日本で貯めた150万円程度のお金を軍資金にし、安宿のドミトリーに泊まり、自炊をすれば、途上国では一日500円ほどで生活ができる。5年間旅行するくらい容易なことなのだ。私は今まで海外旅行には行っている方だと思っていた。しかし、上には上がいるものである。こんなことをしている人が大勢いたとは全く知らなかった。そんな彼らからすれば、私の慌ただしい旅行など奇異に見えたのだろう。まるで今までと違った生き方を提示されているようであり、私も新鮮であった。
そんな彼らの中には、パレスチナ人の分離壁反対運動に参加してきたというすごい人もいた。パレスチナ自治区にビリン村という村がある。ここで現在、パレスチナ人たちが闘争をしているのである。イスラエル政府はビリン村をユダヤ人の土地だという見解を示し、パレスチナ人たちを追い出しにかかっている。ビリン村に壁を築き、パレスチナ人たちの生活源であるオリーブの木を切り倒しているのだ。人道的な見地から国連は非難決議を採択。しかし、イスラエルはこのことを一向に辞めようとはせず、紛争に発展している。宿にいた人はこのパレスチナ人たちのデモに参加してきたというのである。イスラエル兵たちが容赦なく投げる催涙弾にも負けずにデモをしてきたという武勇伝を聞かせてもらった。
中東は「文明の十字路」という。しかし、十字路であるのは文明だけではない。アフリカ大陸を縦断してきた人、インドから深夜特急ルートを来た人、アラビア半島から来た人、ヨーロッパ方面へ行く人…「ファイサル」に泊まっていた人たちは様々な地域からこの地に集まり、様々な地へと出発していく。中東は文明だけではなく、旅行者にとっても十字路だったのである。そんなことを感じたエルサレムの宿であった。
翌日、私はエルサレムを出発し、アンマンで一泊したあと、日本への帰路についた。ヨルダン、シリア、パレスチナ、イスラエル。4つの国と地域の旅行もこれで終わり。笑いあり、涙ありの本当に内容の濃い旅行であった。「文明の十字路」中東。三大陸の狭間に位置していることから稀に見る激動の歴史をくぐり抜けてきた土地、中東。そこは感動と新たな発見の宝庫であった。もう少しここに居たい。そんな気持ちにさせられた旅であった。そんな今回の旅行の締めくくりにふさわしい光景が帰りの飛行機の中で待っていた。砂漠の中に沈む夕日…。寂しい想いを振り払うように私は中東を跡にした。
完
P.S 9月の日記がこんな時期まで先延ばしになってしまい申し訳ありませんでした。最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。感謝の意を伝えて締めたいと思います。
※10月1日からココログで写真掲載ができなくなりました。
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