
6月末にインドに行ってきた。今回から数回に渡って書いていきたい。
インド行きを決めたのは急だった。6月末に4連休があった。全国転勤のある会社(一部海外も…)なので配属前の引っ越しをするために与えられた休日である。しかし、私が配属されたのは東京。引っ越しの必要はなかったのである。土日も含めて6日間、家でゴロゴロしているのはもったいなさすぎる。そこで急遽インド行きを決めたのである。
今回はシンガポール航空を利用させてもらった。料金的に高く(エア・インディアなら7万~のところをシンガポール航空は11万~)、しかもシンガポールを経由しなければならないので、できれば回避したかったのだが、エア・インディアは遅延や欠航の常習犯。これが悩みの種だった。学生時代なら間違いなくエア・インディアを利用していたところだが、時間に縛られる社会人になった以上、スケジュール通りいってくれないと困る(…というか、配属初日に欠勤はありえない…汗)。そこで、今回はシンガポール航空を利用させてもらった(サービスは最高!)。そんな経緯で旅行を始めた。
インドには3つの季節があると言う。「ホット、ホッター、ホッテスト」だ(笑)。22時過ぎにも関わらず、デリーのインディラ・ガンディー空港の温度計は40度を指していた。飛行機を降りた瞬間から、経験したことのない思わずうなるような暑さであった。立っているだけで汗が吹き出てくる。日中はこれ以上になるのかと思うとこの先、本当に気が重かった。
インドは日本人が旅行する上で本当にハードルが高い国である。トラブルが後を断たないのだ。『地球の歩き方』というガイドブックのトラブル特集は大抵の国の場合、巻末に掲載されている。しかし、インドだけは違う。巻頭にカラーで、しかも一冊の半分近くのページを割いて書いているのである。インドが如何にトラブルが後を断たないかをよく表している。さらに、そのトラブルも悪質なものが多い。どうもインド人のあいだでは「日本人=カモ」という認識が浸透しているようで、ビックリするようなトラブルが後を断たないのである。『地球の歩き方』にも、タクシーで目的地には行かず地図にない場所に連れていかれて金を要求される、喫茶店や食堂で睡眠薬を入れられて起きたら財布がなくなっている、旅行会社とタクシーとホテルがグルになっていて高額な金額を要求してくる…等々。こんな被害がたくさん載っていた。
これはすごい国だと思ってはいたが、私もその例外ではなかった。バッゲージクレイムに時間がかかり、空港を出たのは23時過ぎ。時刻表のない空港前のバス乗り場で1時間程バスを待ったが、バスはとうとうやって来なかった。仕方なくタクシーで市内に行くことにした。『地球の歩き方』に寄れば、空港前のタクシーはトラブルだらけなので出来れば乗りたくなかったのだが、バスが来ない以上仕方がない。私はタクシーで市内に行くことにした。これがすべての始まりだった…。
夜遅かったので、とりあえず安宿街のコンノート・プレイスを目指すことにした。タクシーの運転手と長い長い交渉の末、2ドルで行かせてもらうことになる。しかし、このタクシー、なんと空港から10キロ程行ったところでガス欠になってしまったのである。見ず知らずの国の地図にも載ってない場所に一人放たれてしまったのだ(これ相当怖かったです…)。
私は途方に暮れてしまった。すでに時計は24時半を回っている。私はしばらくその場で立ち尽くす以外に方法はなかった。車は通るのだが、なかなかタクシーが来ない。そうこうしているうちに時間は刻々と過ぎていく。ここに一泊するかと覚悟した瞬間、一台のオートリクシャが私の前に止まった。なんと幸運なのだろう。私は藁をも掴む思いで乗り込んでしまった。しかし、このオートリクシャもとんだ食わせ者だった。コンノート・プレイスと私が何度も言っているのに、着いた先は旅行会社。これは『地球の歩き方』に載っている典型的なトラブルの例である。このまま降りてしまうと法外な価格のツアーに強制的に入らせられるのが落ち。私はタクシーの運転手にぶちギレて一銭も払わず逃げた。
インドを訪れて4時間。ようやくこの国の実態がわかってきた。考えていた程甘くはなかったのである。頼れるものは自分自身だけしかいないということにようやく気が付いたのである。
ここで到着前に立てていた計画を変更した。デリーで一泊せずに、このままアグラへ向かうことにしたのである。理由は三点ある。時計はすでに3時。このまま深夜のバスに乗ってしまえばホテル代を浮かすことができるということ。これが一点。二点目は、デリーはインドの玄関口であるため、デリー観光は次回でもできるのではないかと考えたこと。そして最後に、ここまでの過程でデリーに辟易していたことである。そんなこんなでアグラに行くことを決め、バスターミナルまでの5キロ少々の道を重い荷物を背負い、物乞いたちを振り払いながら、汗だくで歩き、深夜バスに乗り込んでさっさとデリーを後にした。
そんな散々なデリーの一夜であった。
つづく
※写真はバラナシ。