土曜日に松下政経塾の杉本哲也さんと「教科書改善の会」のシンポジウムに行ってきた。この会は改正教育基本法に基づく教科書改善を進めることを目的にした有識者の会で、高崎経済大学教授の八木秀次さんが主催している会である。私も次世代に美しい日本の心を伝える方策を模索するべくこの会に参加してきた。
会の進行はパネルディスカッションで、パネリストは中西輝政氏、川勝平太氏、笠谷和比古氏、竹田恒泰氏の4氏であった。日本文明と愛国教育に関する大変興味深い話をそれぞれの立場で聞かせていただけた。
私が印象に残ったのは笠谷さん発言であった。笠谷さんは武士道研究の第一人者として活躍をされている方である。そんな笠谷さんが言うには、武士道の神髄は殿様が間違ったことをしたときにお諌めすることにあると言うのである。武士の最高の勤めとは殿様に諫言をして国家をつくることであるとおっしゃっていた。これを聞いて私はなるほどなと思った。
昨年から今年にかけて企業の不祥事が次々と明らかになった。雪印、不二家、赤福、船場吉兆、石屋製菓…。隠ぺい、不正、偽装など様々な形態があるが、これらに共通していることが一つある。これらが内部告発によって発覚したということである。ここに現代社会が抱える一つの問題点があるのではないだろうかと私は思う。なぜこんなことになる前に社内で言えないのだろうか?ということである。
言うべきことを言うということはとても大変なことである。私も野球部時代にこれを経験したものである。叱ったり、小言を言ったりすれば、お互いにいい気持ちはしないからだ。叱る方ほどつらい思いをすることが多い。時には、空気が悪くなったり、言った本人がまわりから嫌われるようなこともある。それだけではない。言った本人が部内で居場所がなくなり窮地に追い込まれることも珍しくなかった。しかし、それでも言わなければならないときには言わなくてはならないのである。たとえ自分の立場が無くなろうとも、場の空気が悪くなっても言わなければならないことは言わなければならない。これができないと組織全体がダメになるからである。これができていない日本社会に私は大きな問題を感じる。なぜ密告のような方法でしか明らかにならないのか。なぜ事が大きくなってから発覚するのか。こういうところに日本社会の問題点があるように思う。
慶應義塾の塾長だった小泉信三先生は「善を行ふに勇なれ」という言葉を残された。私も言うべきことをしっかり言うことを心がけていきたい。