福岡活動記
国文研の合宿で福岡に行った際に、いろいろな活動をしてきた。活動報告も含めて、今日はこのことを書いていきたい。 まず初日、福岡に行く前に北九州に寄り、白島石油備蓄基地に行った。ここは私の内定先であるコスモ石油と関係の深い備蓄基地である。私は以前、志布志の石油備蓄基地に行ったことがあるのだが、ここは新日本石油と関係の深い備蓄基地だった。今回訪れたのは、比較の対象にもなるし、有意義だと考えたためである。北九州空港からバスで一時間、若松駅に行き、そこから更にバスで、白島石油備蓄館に行った。白島石油備蓄館は、基地の概要を説明した資料館である。私はここで様々なことを勉強させてもらった。白島石油備蓄基地の一番の特徴は洋上備蓄ということである。北九州市の沖合8キロに位置し、世界でも数少ない海の上にある備蓄基地なのである。ここには9日分の日本の石油が備蓄されている。8隻で568万キロリットルの貯蔵船、それらをつなぐ係船ドルフィン、防波堤などの説明を受けた。石油備蓄は非常時の我が国の生命線とも言える。今後も勉強していきたい。
その後、東田第一高炉跡を訪れた。1901年2月5日、明治政府は日清戦争の賠償金で、殖産興業のスローガンの下、この地に官営の八幡製鉄所を建設した。その時、初めて火を灯したのが、この東田第一高炉なのである。鉄鋼は近代化する上で欠かせない産業である。北九州という土地は、鉄鉱石を大陸から、石炭を地元福岡でたやすく入手できたため、製鉄所建設には最適の土地であった。こうした地の利を活かして、八幡製鉄所はしだいに規模を拡大し、日本の近代化に大きく貢献してきたのである。現在は、スペースワールドなどという明らかに殺風景で赤字の遊園地の横に東田第一高炉跡がある。東田第一高炉跡に行くと、まず大きな「1901」の数字が目に飛び込んできた。そして、中には作業着を着た職員を模した人形や、当時のままの高炉、写真などが展示されていた。日本の近代化に貢献した八幡製鉄所、その歴史について勉強させてもらった有意義な旅であった。
これで北九州を後にし、福岡へ向かった。博多駅で日下部さんと合流し、長浜の屋台のラーメン屋「とん吉」へ行った。日下部さんとは危機産業展以来の再会である。話が弾み深夜まで語り尽くした。
日下部さんの家に泊めさせていただき、翌日は早朝に起きて「福岡掃除に学ぶ会」に約一年ぶりに参加した。この会はイエローハットの鍵山秀三郎さんによって結成された掃除哲学に学ぼうという有志の集まりである。いつもは「東京掃除に学ぶ会」で新宿の歌舞伎町や東口周辺を掃除しているのだが、福岡の町のきれいさにビックリさせられた。福岡は一人あたりビニールのゴミ袋が一袋あれば対応できる。しかし、東京ではそうはいかない。新宿区の職員の方々にも協力していただいてトラックが出動しないと対処できないほどである。単純に人口比で比較しても、それ以上の量のゴミが歌舞伎町には落ちているものだ。如何に東京の人々の心が荒んでいるかがよくわかった(涙)。福岡でも一番多いのは、やはりタバコの吸殻。これは早急に何とかしたい問題である。道行く人のマナーを考えること、そして自己修養になった有意義な活動だった。
その後、国文研の合宿に参加した(これについては22日の日記参照)。
その後、日下部さんに福岡を案内してもらった。まず訪れたのは、亀山上皇の銅像である。ここには「敵国降伏」の文字が入っている。これは徳を以て敵を追い返したという意味であり、単に降伏させたという意味では「降伏敵国」となるらしい。そんな説明をしていただいた。
次に、元寇防塁跡に行った。鎌倉時代の文永11年、大陸で元が隆盛を極め、我が国は一回目の蒙古襲来を受けた。このときは見事撃退するも、幕府は再度の来寇を予想。今津から香椎まで約20キロに渡って石塁を築いたのである。現在はわずか数ヶ所にその面影を残すのみであるが、当時の人々の苦心の跡を垣間見ることができた。まさに危機管理の発想である。再び元が攻めてくるかどうかは当時誰にもわからなかった。しかし、国防というものは被害が起きてからでは遅いのである。常に最悪の事態を想定し、それでも対処できるようにした当時の執権・北条時宗は素晴らしいリーダーであった。現在の我が国でも最悪の事態を想定した防衛を一刻も早くするべきであるという教訓を見せてもらった気がする。
翌日は、中央区舞鶴にある玄洋社記念館に行った。玄洋社とは、頭山満や中野正剛、緒方竹虎、広田弘毅、来島恒喜、中村天風ら修猷館の中心メンバーによって結成された日本史上に残る政治結社である。主張は、世界が欧米植民地主義に席巻される中で、人民の権利を守るためには、まず国権を強化して、国の独立を守る、ということだった。その目は、アジア諸国にも及んだ。国家の独立を考えればこその支援であった。孫文、黄興、金玉均、ラース・ビハーリー・ボース、アギナルドらを積極的に支援し、大アジア主義を唱えたのである。玄洋社記念館には、彼らの残した手紙や和歌、写真など貴重な資料ばかりが展示してあった。激動の時代、アジアに厳然とした足跡を残して、去っていった志士たち。日本と日本人の生き方を見つめなおすいいきっかけとなった。
様々な経験をして充実した福岡の日々だった。また訪れたいと思う。
P.S 玄洋社記念館の館長の浅野秀夫さんのおっしゃっていた「政治家とは男を売る仕事」という言葉が本当に印象的であった。その通りなのである。政治家の方々にも聞かせたいくらいである。

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