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2007年10月16日 (火)

立川の歴史

001 002  先日、立川市歴史民俗資料館に行ってきた。ここでは、立川市の歴史がわかりやすく展示されている。郷土の歴史を勉強しようと思い、ここを訪れた。

 立川の歴史は、空の歴史である。町は立川飛行場とともに発展していった。その歴史を振り返ってみたい。

 第一次世界大戦の結果、飛行機の重要性が認められると、政府は飛行場の建設地として立川を選んだ。理由は、首都東京から近いこと、人家のない広大で平らな土地があること、鉄道が通っていること、気象条件に恵まれていることだった。大正11年、立川飛行場が完成し、陸軍飛行第五大隊の基地として使われるようになる。その後、民間飛行場としても使われるようになり、昭和4年に立川ー大阪間で日本初の定期航空が開始された。さらに、その後には国際便も発着するようになり、立川は日本の国際空港としての地位を築いて行ったのであった。

 しかし、昭和6年に羽田空港が完成すると、旅客機はすべて羽田に移転。立川は、国際空港としての役目を終えた。以後は軍事基地に一本化され、立川は「軍都」と呼ばれるようになった。

 昭和20年大東亜戦争の敗戦により、立川飛行場は、アメリカ軍の基地として利用されるようになる。このころ市内のあちこちに米兵相手の商店が立ち並び、街は英語で溢れていたそうである。

 昭和30年には、立川基地拡張の計画が建てられる。これに反対した地元住民が、警官隊との激しい衝突を繰り返した。砂川闘争である。これは、裁判にまで発展し、統治行為論(高度な政治性を有する国家の行為は司法の審査の対象から外すこと)を採用した事例として広く知られている。

 昭和52年、立川基地は横田に移転することが決まり、日本に全面変換された。跡地は昭和記念公園、陸上自衛隊立川駐屯地、東京都の広域防災基地、「ファーレ立川」と呼ばれる商業施設へと生まれ変わった。こうして立川は、空の歴史を閉じたのだった。

 しかし、東京西部の中核都市としての役割はそのまま残された。平成10年には、多摩都市モノレールが開通。南口も整備され、立川は今後ますます発展していくだろう。

 東京多摩地区の中心都市・立川。これからも地元立川について勉強していきたい。




P.S 立川出身の著名人
小沢征爾(指揮者)、吉澤京子(ピアニスト)、三浦友和(俳優)、宇都宮隆(TM NETWORK)、木根尚登(TM NETWORK)、真木蔵人(俳優)、原田泰造(ネプチューン)、小川範子(女優)、四元奈生美(卓球選手)、アジャ・コング(プロレスラー)、梅津弥英子(アナウンサー)、梅沢由香里(棋士)、泉川正幸(バレーボール選手)、江口元気(笑)。

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